前回に続き、同じ講談社より出版されている本書は茨城大学の助教授である佐藤邦政(さとう くにまさ)さんが「哲学とは?」という事を子ども向けにわかりやすく様々な参考例を基に紹介しています。
哲学を学ぶきっかけとして本書では五つの章立てとなっています。
- 1章:世界の根本を考える哲学
- 2章:自分らしい生き方を考える哲学
- 3章:自分の見方や考え方を変える哲学
- 4章:私たちの社会を考える哲学
- 5章:新しい時代を生きるための哲学
自分の見方や生き方を考えるのは身近で興味が湧きませんか?新たな視点が持てそうですね!
本当に紹介したい内容が盛りだくさんですのでお時間の無い方は興味のあるトピックだけ見て頂いても大丈夫です!
見開きに右ページに1つの哲学が簡単に書いてあり、左ページにその詳細な説明が記載してあります。時間のない人は右ページだけ読んで気になったら左ページを読むでもいいと思います。
さっそく気になった哲学を取り上げ、書評していきます!
私って何?
私が私であることを証明する必要なんてない。
まずは一つ目。いきなり考えさせられますよね。
皆さんも一度は「私とは何者なのか?」と考えたことはありませんか?
昨日と今日の私。10年後、50年後の私は果たして今の私と同じ考えなのでしょうか。
人間の”体”を作っている物質は数年ですべて入れ替わるそうです。
イギリスの哲学者パーフィットは人格の同一性について重要なのは
「自分の”心”が連続して繋がっていることである」と考え
「自分がいつも同じであることに特別な意味はない」という結論に至りました。
今の”体”や”記憶や思考”がいつも同一であることよりも”心”が連続していること。
「私は何者か」を考えることは大事ですが、それを証明する必要はないという事ですね。
人ってほとんど記憶で生きているのでは?と私は考えさせられました。
感情に流されないほうが幸せ?
世の中のできごとにいちいち一喜一憂しないほうが幸せ。
古代ギリシャのストア派は感情に振り回されないことを理想としました。
感情のある生活は「楽しい、嬉しい」といったポジティブ要素もありますが、「悲しい、憎い」などのネガティブな要素も含みます。
これらに心を左右されると、欲望に囚われてしまうという考え方だそうです。
この感情に左右されず欲望から解放された状態をアパティアと言うそうです。
私は一時の感情に身を任せて、良かったことより後悔することの方が多かった気がします。
感情や欲望をコントロールするのは至難の業ですがアパティアの精神を知ることで少しは克服できるかもしれませんね。
今の私の価値観や考えですが、感情を無くすことはどこか無機質で虚しさを感じてしまいます。
時に悔しさや悲しみは自己実現の燃料になるとも思います。
ポジティブな感情は十分堪能して、ネガティブな感情は次の高みへの材料として受け入れるマインドセットになれるといいですね!
私は未だに感情にながされっぱなしです。
愛って何?
愛とは見返りを求めずに相手を想い相手に尽くすこと。
西洋哲学では”愛”を意味する言葉がいくつかあります。
- エロス:理想へのあこがれと欲求
- フィリア:お互いの幸福を願いあう愛
- アガペー:相手からの見返りを求めない無条件の愛(無償の愛)
アガペーは神から人への愛なので崇高感が半端ないですが、自分を犠牲にして相手を思いやることは人間でもできるはずです。
愛を向けられる相手は?と聞かれて何を思い浮かべますか?
私はやっぱり子どもです。子どもには無償な愛を向けられると思える親御さんは多いと思います。
妻にも、両親にも愛を向けられますが、どこか打算的な自分がいる事は否めません。
「洗濯物干したから、食器は洗って」「○○したからご飯実家で食べさせて」など小さいことですが見返りを求めることは愛ではないと西洋の哲学では言っているという事です。
でも、寒そうに寝ている妻にそっと毛布を掛けたり、たまに親孝行するときなどは見返りを求めていない気もします。
考えれば考えるだけわからなくなりますが、正解はないので人生を通して自分なりの結論を見出せたらいいですね!
最上級の愛とは何なのか…考えさせられますね
礼儀の意味
平和な暮らしで大切なのは愛と礼儀だ。
西洋ではなく、もう少し身近な中国の儒教の創始者である孔子のお話です。
孔子は人が生きていくうえで最も大切にすべきは人を愛することを意味する「仁(じん)」と説きました。
仁の表れとして、親を大切に敬う「孝(こう)」や年上の兄弟や年長者の話を聞く「悌(てい)」があるそうです。
また、孔子は仁のある人は自分の利益にこだわらず、人として大事な仕事を自ら引き受けるとも言ったそうです。
そして、仁と同じぐらい大切にしていたのが「礼(れい)」です。礼は仁を態度や行動に表したもので、人が従うべき社会のルールのことです。
本書でも語られていますが挨拶は最初、義務感でやっていましたが、毎日顔を合わして挨拶を交わしていくうちに打ち解け、相手を敬う心が育まれていきます。
儒教では、私利私欲を抑え、礼を実践すること「克己復礼(こっきふくれい)」と言います。
皆さんはなぜ挨拶をするのでしょうか?今一度考えてみるのも面白いかもしれませんね!
皆が皆、私利私欲で動き回る世の中は悲しみしか生みそうにないですね
議論の意味
考えを組み合わせたり混ぜ合わせたりするとよりよいものが生まれる。
ドイツの哲学者ヘーデルは、ある考え(テーゼ)とそれに反対する考え(アンチテーゼ)を合わせることでよりよい考え(ジンテーゼ)が生まれると説きました。
これを止揚(アウフヘーベン)と言い、何度も繰り返すことで最高の知識とされる絶対知を得ることができるそうです。
この絶対知に至るまで繰り返される哲学的な思考を弁証法と言います。
少しテーマとはずれるかもしれませんが、この話を読んでトヨタ式の5なぜを思い出しました。
トラブルに直面した時、5回なぜを問いかけて原因究明するという手法で、結論に至るまでテーゼとアンチテーゼをぶつけ合い、ジンテーゼを得ていくのと似ていると思いました。
ヘーゲルは、人間の歴史を人々が自由な生活ができるまで繰り返す弁証法の過程であると説きました。
議論となると、反対されたり、論破されたりと悲しくなる気持ちもありますが、よりよい考えに行くつくためには必要なプロセスなのだと思えば、少しは勇気が持てますね!
小説にも哲学が活かされているのですね
運のせい?
人の行為の良し悪しには運が大きく関わる。
責任のない人っているのかなぁ
知恵のある人とは?
本当に知恵がある人は自分がものごとを十分に知らないことを知っている。
皆さんは本当に知恵のある人ってどんな人ですか?
哲学者界隈でよく知られるものにギリシャの哲学者ソクラテスが言った「無知の知」があります。
ソクラテスは友人から「ソクラテスより知恵のある者はいない」と言われ、町中の知恵のある人を訪ねて「愛とは」「正義とは」について議論し、自分よりも知恵のある人を探しました。
結果、「知恵のある者と呼ばれる人はみな、知っていると思い込んでいるだけで何も知っていない」という事に気づきました。
ソクラテスは自分は物事について何も知らないという事を理解できているため、真実について謙虚に知ることができると考えたそうです。
現代に目を向けると少し前までは、如何に知識を有しているかが知恵のある人の評価指標になっていたように思います。
しかし、今はchatGPTなどのAIが台頭し、問題解決は概ね機械が担ってくれるようになりました。これからは問題発見の優れた人が知恵のある人と評価される時代になっていくかもしれません。
いずれにせよ、自分は無知であることを自覚して、奢らず、知った気にならない方が人生を豊かに出来そうですね!
自分の哲学を貫いたのですね
先入観って何?
人は常に見方や考え方に偏りが出てしまう生き物だ。
イギリスの哲学者ベーコンは思い込みや先入観のことを”イドラ”と呼びました。
イドラは「幻影」「偶像」といった意味があるそうで、人が気づかないうちに何かを抱き、とらわれている状態を示します。イドラには4パターンあると説いてます。
- 種族のイドラ:生まれつき備わった感覚から生まれる思い込み
- 洞窟のイドラ:育った環境や経験から生まれる思い込み
- 市場のイドラ:会話や噂から生まれる思い込み
- 劇場のイドラ:有名人や権威性のある人の言葉をうのみにして生まれる思い込み
この思い込みや先入観にとらわれていると、その先のことに気づけないと言います。
皆さんも正しいと信じていた事が違っていた経験はありませんか?
日本男子バスケットがワールドカップで一度もヨーロッパ勢に勝ったことが無いという事実で、まさかフィンランド戦で逆転勝ちするなんて思わなかったですよね。
日本野球の至宝と言われる大谷翔平選手の元通訳だった水原一平被告がまさか犯罪をしていたとは思わなかったですよね。
もっと身近の出来事でも「まさか」があると思います。自分がこうだ!と思うとき、今イドラに囚われていないか冷静に考えられる視点を持てるといいですね!
この先入観や思い込みについては前回の書評「こども心理学」の中でも、ハロー効果や確証バイアスなど似た心理効果がありました。気になる方は前回の記事もご覧ください。
【書評:No1】一生モノの教養が身につくこども心理学|心理を知って自分も子どもも人生を豊かにしよう!
先入観や思い込みは科学発展の上では逆に邪魔な要素になりえるということですね
性別ごとに役割があるのか
男性を優先する社会の中で家事や子育てが女性に押しつけられていった。
これは男性からすると耳が痛い話かもしれません。
フランスの女性哲学者ボーヴォワールは、子どもを愛する「母親」、家事や子育てをして男性を支える「妻」という姿は、男性に都合のいいように作られたもの説きました。
彼女の夫で同じ哲学者であるサルトルは、人は即自存在(目的のために存在する)ではなく、対自存在(まず存在していて目的が生まれる)であるとし、人は本質的に自由な存在だと説きました。
ボーヴォワールはこの夫の言う「人」には男性しか含まれていないと指摘しました。
女性は家事や育児などの役割を男性に押しつけられており、自由ではないと主張したのです。
女性は男性と対等な立場になり、自由に生きるべきと提唱し、世界中のフェミニズムという運動の先駆けとなりました。
哲学夫妻ですが、これは日常の家庭でもあるあるかと思います。今でこそ、育児・家事分担は当たり前、男性の育休も認める会社も増えてきたと思います。
でも、まだどこか「女性(男性)はこうあるべき」という考えはないでしょうか?
私は料理が苦手で、どこか妻に作ってもらうのが当たり前と思わせてしまう節があり、喧嘩になることもあります(当たり前とは思っていませんが、相手がそう感じていたら同じですよね)。
夫婦円満の秘訣はいろいろあると思いますが、私は「感謝」がまず大事だと思います。お互いやってもらっている事には素直に感謝して認める姿勢が大事なのではないかと考えています。
と言いつつ、私は体現できていない時が多々あり、まだまだ未熟者だと思っています。皆さんも上述の「アガペー」の精神に近づける様に努力できるといいかもしれませんね!
今の私の価値観では理解できませんが、だから間違いとは言えないですね。
新しいモノづくりのためには?
感情と知性を組み合わせて新しいものを作り出そう。
日本の哲学者三木清(みき きよし)は、新しいものを作り出す力を構想力と言いました。
人は何もないところからモノや形を生み出していると思われますが、三木は何かを作る時、モノに働きかけながら、同時にモノから刺激を受けて、新しいものを作ろうとする衝動を持つと考えました。
この衝動をパトスといい、考える力や知性(ロゴス)と結びつき、その人らしいモノが出来上がると考えたそうです。
確かに、ぼーっとしていて、いきなりはっ!となって、何かを作ろうとする人は少ないかと思います。
必ず作りたいというパトスの中でモノや形を思い浮かべながら、それに向かって作っていっていると思います。料理でも何か創作物でもなんでもそうだと思います。
例えば、縄文時代の人々がいきなりスマートフォンを思いつくでしょうか?
おそらく思いつかないと思います。なぜなら、スマホを作りたい!という衝動(パトス)も無ければ、その知性(ロゴス)も無いからです。しかし、田畑を耕すためのモノ、動物を狩るモノは欲しい!という熱いパトスはあったと思います。そして、当時のロゴスを持って「くわ」や「やり」の様なモノは作ったのではないでしょうか?
これから50年後、人類が必要にしているモノは何なのかを考えてみるのも面白いかもしれませんね!
捕まえる人、投獄する人みんな友人だったらどうなっていたんだろう…
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は「一生モノの教養が身につく こども哲学」を紹介させて頂きました。何かについて考える。それが既に哲学なんですよね。本書を読んで各テーマについて考えをめぐらせることで私は脳がすごく刺激されました。他にも紹介しきれなかった面白い哲学がたくさんありますので、興味ある方は読んでみてはいかがでしょうか?
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